『暇と退屈の倫理学』國分功一郎
暇とは何か、人間はいつから退屈するようになったのか。さまざまな哲学者の考えや人類の歴史を交えながら、暇と退屈について考察した一冊。
以前、どこかでこんな一節を目にしました。
人はパンがなければ生きていけない。しかし、パンだけで生きるべきでもない。私たちはパンだけでなく、バラももとめよう。生きることはバラで飾られねばならない。
私はスニダン(SNKRDUNK)というサービスを運営していますが、そこで扱っているモノは、生きていくために必ずしも必要ではないけれど、あることで人生が少し豊かになるようなモノが中心です。
そんなこともあって本書に興味を持ち、読んでみました。 特に印象に残った部分を、いくつか書き留めておきます。
人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていればいいのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている。
まずはこんな話から始まるのですが、何もしなければ不幸は起きない、と。その通りすぎて笑いました。何も起きなさすぎてそれはそれで不幸な気もしますが。
もっといろいろなことができるはずであるのに、することがない。自分の能力を十分に発揮することができない。まさに退屈である。
人類が遊動生活から定住生活へと変わり、安定した暮らしを手に入れたことで、かえって自分の能力を発揮する機会が減った。そして退屈が生まれたという考え方は腑に落ちました。 確かに、力を持て余している状態は退屈を感じるなと。
必要を超えた支出があってはじめて人は豊かさを感じられるのだ。
浪費は必要を超えた支出であるから、贅沢の条件である。そして贅沢は豊かな生活に欠かせない。
普段はどちらかというと悪い意味で浪費という言葉を使う気がしますが、こう考えると確かになと。
浪費は満足をもたらす。理由は簡単だ。物を受け取ること、吸収することには限界があるからである。
消費の対象が物ではないからである。人は消費するとき、 物を受け取ったり、 物を吸収したりするのではない。人は物に付与された観念や意味を消費するのである。
本書では、浪費と消費を明確に区別しています。
浪費は、必要を超えて物を求めるものの、やがて満足に至ること。 一方、消費は物そのものではなく、そこに付与された意味や価値を求め続けるため、満足に至らないこと。
例えば、人気のスニーカーを買って、その一足を十分に楽しみ満足できるなら浪費に近い。一方、人気や希少性を求めて購入し、手に入れた瞬間に次の人気モデルを探し始めるなら消費に近い。 つまり、浪費は物そのものによって満足に至る一方、消費は物に付与された意味を求め続けるため満足に至らない。そんな感じに私は解釈しました。 (ちなみに私は、消費もとても楽しく感じるタイプです。)
そして、この考え方を踏まえると、モノを売買するだけでなく、手に入れたモノを深く楽しめる体験も提供する。そんな側面を持つサービスでありたいなと思いました。
人間の頭のなかで、抽象的に作り上げられた、客観的な「世界」なるものではなく、それぞれの生物が、一個の主体として経験している、具体的な世界のことだ。
人間にとって、生き延び、そして、成長していくこととは、安定した環世界を獲得する過程として考えることができる。いや、むしろ、自分なりの安定した環世界を、途方もない努力によって、創造していく過程と言った方がよいだろう。
人間はものを考えないですむ生活を目指して生きているという事実だ。 人間は考えてばかりでは生きていけない。毎日、教室で会う先生の人柄が予想できないものであったら、子どもはひどく疲労する。毎日買い物先を考えねばならなかったら、人はひどく疲労する。だから人間は、考えないですむような習慣を創造し、環世界を獲得する。人間が生きていくなかでものを考えなくなっていくのは必然である。
「環世界」という概念を初めて知りましたが、とても腑に落ちました。 人間を含む生物は、それぞれの感覚や能力を通して、自分なりの世界を生きている。それが環世界。
そして、人間はいちいち考えなくても生活できるように習慣を身につけ、自分なりの安定した環世界を獲得していく。一方で、人間は他の動物に比べて異なる環世界を比較的容易に移動でき、動物は一つの環世界に深くひたる能力が高い、と。
ここからは、本書の主張とは少し離れた私の勝手な解釈。 さまざまな環世界を獲得し、自分の世界を広げていくことも面白い。一方で、一つの環世界に深くひたり、何かに夢中になることも魅力的。 もしかすると、偉大な結果を残すスポーツ選手や起業家などは、一つのことに深く没頭する能力が高いのかもしれないなと思いました。
大切なのは理解する過程である。そうした過程が人に、理解する術を、ひいては生きる術を獲得させるのだ。
人はパンのみにて生きるにあらずと言う。いや、パンも味わおうではないか。そして同時に、パンだけでなく、バラももとめよう。人の生活はバラで飾られていなければならない。
何かを楽しむためには、自分自身がそれを楽しめるようになることも大切なのだと思います。 例えば、これまで何とも思っていなかったものでも、その背景を知ることで急に面白く感じることがありますし。
そして最後に、本書では『暇と退屈の倫理学』の結論が記されています。そこはぜひ読んでみてください。
私なりには、こう解釈しました。 「日々を味わい、贅沢を楽しむ。そのために知り、理解する過程も楽しむ。そして、ときには思いがけない何かに夢中になる。そうして、楽しみの幅を広げていく。」
哲学の本は難しそうで、これまでたぶん読んだことがなかったのですが、自分にはなかった視点に出会ったり、物事の見方が広がる面白さがありました。こうした本を読むこと自体が、人生を豊かにしてくれるのだなと。
とても素敵な一冊でした(知らなかったけど、めちゃくちゃ有名な本でした)。