『よき経営者の姿』伊丹敬之
2023年11月末頃に読んだ本。 たしか、2024年の自分の目標を考えていたときに、そもそも自分は経営という言葉の意味すら理解できていないなと感じ、手に取った本です(当時の私は、足元のGMVを伸ばすことがすべて!という感じで、短期的な目線しか持っていない小坊主でした)。
結果的に、新しい気づきがあったり、うっすらモヤモヤと感じていたことが明確に言語化されていたりと、共感する部分も多く、約3年経った今でも自分の中心にある一冊です。 当時ハイライトしていた部分をいくつか紹介します。
虫の目で見るとは、地面をはい回る虫のように、細かな詳細をきちんと見ようとするということであり、足を大地につけて、一歩一歩をゆるがせにせず、ものを見、また考えるということである。 鳥の目で見るとは、大空を舞う鳥のように、高く広く、ものを見るということである。歴史的にも、世界的にも、幅広く、大きくものを見、また考えるということである。 魚の目で見るとは、潮の流れに従って動く魚のように、流れの先がどこへ行くかを読むために、その時々の小さな変化や大きな流れに目をこらして、ものを見、また考えるということである。
私の場合、もともとは虫の目が一番強い気質だったと思うが、少しずつ最初は鳥の目で見ることが増えてきた気がする。それでもやはりどうしても細部に目がいってしまうことは多い。 それを理解した上で、そもそも全体として正しいだろうか?世間の当たり前や流れとズレていないだろうか?細部に欠陥はないだろうか?と複数の視点を正しく使えるように強く意識していきたいところです。
現実は論理的である。さまざまな断片が論理的につながって、現実というものがある。それを素直に理解しようとすれば、自然に思考は論理的にならざるを得ない。現実は跳ばないのである。
とても分かる。なぜ?なぜ?を一つずつ繰り返すのと同じ感じな。 例えば簡単なキャンペーンの設計等でも、一つひとつの点が論理的につながっていて美しいものもあれば、途中で3段くらい飛ばしてしまって、論理が破綻しているものもある。後者の場合、その飛ばした部分にユーザーは落ちてしまい、結果的に失敗することが多い印象。
経営とは、他人を通して事をなす 他人に、自分が望ましいと思う何事かをしてもらうこと
個人的に、本書で最もぐさりと刺さった部分。 方針を定め、そこに向けて人や組織をマネジメントし、結果を出す。 「経営とは、他人を通して事をなす」。とても短い言葉ですが、底が見えないほどの深さを感じています。
組織に属する多くの人が、自分のすべき仕事をきちんと理解し、かつその実行に努力することは実際に相当難しい。 私の優良企業の定義は、 「六割の人がきちんと自分の仕事を行っている企業」である。 それを達成するために本当に大切なのは、現場のキーパーソンたちの考え方、ステップの踏み方、小さな動きである。 「神は細部に宿る」のである。経営の本質は、その細部への経営者からの働きかけにある。
六割が妥当な割合なのかはまだ分からない。もう少しはいけるんじゃないか?とも思ってしまう。どっちにしろ主体性を持つ人の割合を上げるためには、会社のバリューをキャッチコピー的な存在で終わらせず、日々当たり前のように使えるものまで落とし込んでいくことが重要かなと。 SODA(スニダン)では、3つのバリューそれぞれにキーワードを持たせて具体例の提示等をしているが、まだまだ日々使えているところまで落とし込みができていない。ここは経営としてまだまだ大きな課題があります。頑張ろう。
第一に、富の分配機構として機能している。 まず外部の市場との関係での富の分配機構に、企業はなっている。資金提供者と労働・管理サービスの提供者に対して企業が生み出した付加価値という富の源泉を分配している。株主は配当というかたちで、従業員は賃金というかたちで、分配を受けている。その分配を直接的に決めているのは、企業であり、より直接的には経営者である。 そして企業組織の内部でも、働く人々の中でもさまざまに異なった賃金支払いを行うことにより、富の分配をしている。その支払い基準が何であれ、働く人々がまったく同じ分配を受けるということはほとんどありえない。その分配のあり方を決めているのは、基本的には経営者である。 第二に、企業は権力の分配機構としても機能している。 企業組織の権限規定は、働く人々の内部での権力の大小関係を決定している。あるいは、さらに微妙な組織内の立場の設定で、実質的な権力が誰かに発生して誰かはもてなくなる、ということがよく起きる。 そうした組織の権限や力関係のあり方の基本は、経営者の行う経営の仕組みの設計によって決まってくる。つまり経営者は企業内の権力分配の決定者なのである。 第三に、企業は名誉の分配機構としても機能している。 名誉は、多くの場合、企業内の地位や仕事の種類に付属して決まってくる。そして、一つの企業が社会の中でどの程度の重要性をもっているかという社会的評価に応じて、その企業内の地位や仕事の種類がその人の社会的名誉のある部分を決めていることもしばしばある。 たとえば、大企業の部長は、中小企業の社長よりも富はないかもしれないが名誉は大きい、と暗黙のうちにせよ考えている人は多い。それは企業組織内の地位とその企業の社会的重要性とのかけ算で、ある個人の社会的名誉が決まっているという一つの例である。そして、人々の企業組織内の地位や仕事の種類を決めているのは経営者であるために、経営者が名誉の分配者として機能してしまうのである。 第四に、企業は時間の分配機構としても機能している。 企業での労働時間として企業が人々から時間をとり、残りが余暇の時間となる。その実質労働時間は仕事のあり方を決めることによって半ば自動的に決まるのである。 いわば、経営者は働く人々の人生を決めている。それだけ、経営者の責任は重い。
これは強く心に刻んでいます。 意思決定が誰かの人生に大きな影響を与えているという自覚と責任は、絶対に忘れないようにしなければなりません。
経営も教育も「実際に事を行う」のは経営者や教育者本人でなく他人なのである。その他人の行動をうまく導くところに、経営と教育の共通の本質がある。 その共通性は、第1節であげたマクロマネジメントの内容をわかりやすく経営の要諦として次のようにまとめてみれば、さらに明確になるだろう。つまり、経営の要諦とは、次の三つのことをきちんと行うことである。
- 1.部下たちに仕事全体の方向を指し示す
- 2.部下たちが仕事をしたくなる、やりやすくなる環境を整備する
- 3.その後は、彼ら自身が自分で仕事をするプロセスを刺激する。応援する
これはシンプルで分かりやすく、自分も見失わないように残しておく。
「理を優先し、情を添える」
とても好きな言葉です。 基本的には合理的であるべきだと思っていますが、どれだけ合理的で正しくても、人は感情を持っているので、それだけでは正解ではない、というパターンが何度もありました。 理を曲げてまで情を優先するべきではない一方で、理だけでも正解にはならない、は「経営とは、他人を通して事をなす」を実現させていくうえで、とても大事なことだなと。
偉大なる常識人である側面をもったうえで、さらに強い個性が加わっている。それが、名経営者である。
個性か、なんだろう難しい。
「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」
SPARX Group創業者の阿部さんがおっしゃっていた「異常は必ず正常に戻る」という言葉と同じように、これも当たり前に起こることなのだと、心に刻んでおきたいです。
新しい経営者にとっての「立場」の美学とは、「四時の序」で言えば、自分の季節がきたという立場を深く認識して、そこでの自らの役割を明確に考え、その上で次の季節にきちんとバトンを渡そうとする経営を行うことであろう。 新しい経営者にとっての「責任」の美学とは、西岡常一さんの「匠長の座」についての言葉にあるように、大きな権力と重い責任を伴う座についたことに畏れを抱き、任に堪えずと思ったならいつでもその座を去る覚悟で経営を行う、ということであろう。
まだまだ頑張る気満々ではありますが、その時が来たら潔く去る覚悟を持てるといいなと思います。 最近では、サイバーエージェントの藤田さんが社長交代を進めていますが、交代までに約4年、そこから引き継ぎにさらに約4年と、約10年もの時間をかけて絶対にやり切るという覚悟を、記事や勝負眼で読み、震えました。 (麻雀や馬主、HIPHOPなど、ストレートに人生を楽しんでいる姿も含めて、とても憧れの存在です。)
冒頭にも書いた通り、新しい気づきだけでなく、これまで漠然と感じていたことを言語化してくれた、自分にとって大きな一冊でした。これからも定期的に読み返したいと思います。