『よき経営者の姿』伊丹敬之、日本経済新聞出版

p.000 虫の目で見るとは、地面をはい回る虫のように、細かな詳細をきちんと見ようとするということであり、足を大地につけて、一歩一歩をゆるがせにせず、ものを見、また考えるということである。 鳥の目で見るとは、大空を舞う鳥のように、高く広く、ものを見るということである。歴史的にも、世界的にも、幅広く、大きくものを見、また考えるということである。 魚の目で見るとは、潮の流れに従って動く魚のように、流れの先がどこへ行くかを読むために、その時々の小さな変化や大きな流れに目をこらして、ものを見、また考えるということである。
p.000 現実は論理的である。さまざまな断片が論理的につながって、現実というものがある。それを素直に理解しようとすれば、自然に思考は論理的にならざるを得ない。現実は跳ばないのである。

p.000 経営者の3つの役割

  • リーダー
    • リーダーとは、人間集団の求心力の中心になる存在である。代表者とは、社会に対して企業を代表する存在である。設計者とは、グランドデザインの提示者としての存在である。
    • この人は大きな方向性を与えてくれるという意味での人格的魅力、具体的に方向がまだ出ていなくても、この人なら大丈夫と思える人格的な基盤が、必要であろう。
  • 代表者
    • 「もうこの先は誰かの判断を仰ぐことはできない」という最後のポイントが、経営者の置かれた立場である。
    • 社会に対しての企業の責任をすべて一身に負う存在としての経営者である。
  • 設計者
    • マクロマネジメント
      • 1.企業全体の方向性を決める
      • 2.資源の配分の基本枠を決める
      • 3.組織の構造と管理の仕組み(経営システム)の基本を決める
      • 4.その仕事の仕組みの中での人の配置を考える
    • 組織の人間集団は、しばしば巨大な人数になる。大軍なのである。大軍には大軍なりの、経営者が押すべきボタンがある。あるいは押せるボタンがある。どのボタンを押せば、どこがどう動いて全軍がどこに向かうかを見通したうえで、経営者自身が直接さわれるボタンは何か、を考える必要がある。
p.000 経営とは、他人を通して事をなす 他人に、自分が望ましいと思う何事かをしてもらうこと
p.000 「昔は自分一人でできるような気になるもんですから怒るんですな。何でこんなことができんのかと思いましてな。誰もが自分と同じようにできると思うんですな。また頼んだことを全部完全、完璧にしてもらわな、許せんのですな。それが近ごろでは『してもらう』という気になりますものな」 他人を通して事をなすというのは、自分だけで自分の行動をいかに決めるか、いかに自分を律するか、という問題とは根本的に異なる。感情もあり、知恵も心もある他人に働いてもらって、望ましい物事を実行してもらうのである。
p.000 組織に属する多くの人が、自分のすべき仕事をきちんと理解し、かつその実行に努力することは実際に相当難しい。 私の優良企業の定義は、 「六割の人がきちんと自分の仕事を行っている企業」である。 それを達成するために本当に大切なのは、現場のキーパーソンたちの考え方、ステップの踏み方、小さな動きである。 「神は細部に宿る」のである。経営の本質は、その細部への経営者からの働きかけにある。
p.000 第一に、富の分配機構として機能している。 まず外部の市場との関係での富の分配機構に、企業はなっている。資金提供者と労働・管理サービスの提供者に対して企業が生み出した付加価値という富の源泉を分配している。株主は配当というかたちで、従業員は賃金というかたちで、分配を受けている。その分配を直接的に決めているのは、企業であり、より直接的には経営者である。 そして企業組織の内部でも、働く人々の中でもさまざまに異なった賃金支払いを行うことにより、富の分配をしている。その支払い基準が何であれ、働く人々がまったく同じ分配を受けるということはほとんどありえない。その分配のあり方を決めているのは、基本的には経営者である。 第二に、企業は権力の分配機構としても機能している。 企業組織の権限規定は、働く人々の内部での権力の大小関係を決定している。あるいは、さらに微妙な組織内の立場の設定で、実質的な権力が誰かに発生して誰かはもてなくなる、ということがよく起きる。 そうした組織の権限や力関係のあり方の基本は、経営者の行う経営の仕組みの設計によって決まってくる。つまり経営者は企業内の権力分配の決定者なのである。 第三に、企業は名誉の分配機構としても機能している。 名誉は、多くの場合、企業内の地位や仕事の種類に付属して決まってくる。そして、一つの企業が社会の中でどの程度の重要性をもっているかという社会的評価に応じて、その企業内の地位や仕事の種類がその人の社会的名誉のある部分を決めていることもしばしばある。 たとえば、大企業の部長は、中小企業の社長よりも富はないかもしれないが名誉は大きい、と暗黙のうちにせよ考えている人は多い。それは企業組織内の地位とその企業の社会的重要性とのかけ算で、ある個人の社会的名誉が決まっているという一つの例である。そして、人々の企業組織内の地位や仕事の種類を決めているのは経営者であるために、経営者が名誉の分配者として機能してしまうのである。 第四に、企業は時間の分配機構としても機能している。 企業での労働時間として企業が人々から時間をとり、残りが余暇の時間となる。その実質労働時間は仕事のあり方を決めることによって半ば自動的に決まるのである。 いわば、経営者は働く人々の人生を決めている。それだけ、経営者の責任は重い。
p.000 教育者としての経営者の第一の意味は、経営のために人を育てる、あるいは経営によって人を育てる、そうした教育という仕事を経営者は自然にしている、という意味である。
p.000 経営も教育も「実際に事を行う」のは経営者や教育者本人でなく他人なのである。その他人の行動をうまく導くところに、経営と教育の共通の本質がある。 その共通性は、第1節であげたマクロマネジメントの内容をわかりやすく経営の要諦として次のようにまとめてみれば、さらに明確になるだろう。つまり、経営の要諦とは、次の三つのことをきちんと行うことである。
  • 1.部下たちに仕事全体の方向を指し示す
  • 2.部下たちが仕事をしたくなる、やりやすくなる環境を整備する
  • 3.その後は、彼ら自身が自分で仕事をするプロセスを刺激する。応援する
p.000 経営理念を考えるということは、まさに哲学することである。企業の存在する意義、仕事の意義、そして組織の意義、それを述べたものが経営理念である。それを策定できるということは、哲学した後でなければならないはずである。
p.000 知力を生み出す知のエネルギーとは何だろうか。それは、わからないなりに考え抜くための「考える」プロセスを耐えるエネルギーであり、そのプロセスでの論理の積み上げをきちんとできる脳と心のエネルギーである。
p.000 「理を優先し、情を添える」
p.000 偉大なる常識人である側面をもったうえで、さらに強い個性が加わっている。それが、名経営者である。
p.000 人は志の高さに応じて、仕事の場の大きさに応じて、思索の場の深さに応じて、育つのである。
p.000 自己の経験の相対化から、自分の経験の足らない部分に思いをいたし、より深く広く、そして普遍性をもって考えようと努力することによって、自らの視野を広くできる。そして、さらに深い思索の場をもとうとするようになる。それがあればこそ、経営者として育つのである。
p.000 戦略の方向性の判断、中核人事の人選の判断、そして間接的な組織全体への影響の確保、その三点は経営者としてどうしてもしなければならないことである。その三点で経営者が誤りを犯す場合、それが経営者の失敗につながるだろう。
  • 四つの誤り
    • 状況認識
    • 人物鑑定
    • 人格的ゆるみ
    • 小さな失敗を正さない
p.000 「権力は腐敗する。絶対権力は絶対に腐敗する」
p.000 「そもそも世代交代が必要な理由の一つは、現在の経営者たちがそれほどきちんとした経営をしているとは思えないからです。きちんと経営していない経営者を、すぐにはきちんと経営できないかもしれない若い世代と交代させる。それがマイナスでしょうか」
p.000 新しい経営者にとっての「立場」の美学とは、「四時の序」で言えば、自分の季節がきたという立場を深く認識して、そこでの自らの役割を明確に考え、その上で次の季節にきちんとバトンを渡そうとする経営を行うことであろう。 新しい経営者にとっての「責任」の美学とは、西岡常一さんの「匠長の座」についての言葉にあるように、大きな権力と重い責任を伴う座についたことに畏れを抱き、任に堪えずと思ったならいつでもその座を去る覚悟で経営を行う、ということであろう。
p.000 Where others see only the wall, I see doors.(他の人たちには壁しか見えない場所に、私はドアを見る。)この言葉は、失われた二〇年を経て、第三の敗戦とすら私が呼びたくなるような閉塞感の強い今の日本にこそ、意義の深い言葉である。「壁ばかりを見て前途がふさがれていると思うな、前へと進めるドアを見つけるのだ」という、峻烈なまでの未来志向である。